2017年01月19日

ウォルデン・ベロー:ドゥテルテ大統領はオリジナル版のファシストだ

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ドゥテルテ大統領はオリジナル版のファシストだ
ウォルデン・ベロ
2017年1月6日

Walden Bello : Rodrigo Duterte: A Fascist Original
Foreign Policy in Focus http://fpif.org/rodrigo-duterte-fascist-original/


 2016年にロドリゴ・ドゥテルテ大統領のフィリピンはしばしば世界中の注目を浴びた – 一部の人々にとっては注目されすぎだった。フィリピンから麻薬の常習者と密売人を根絶する作戦は、超法規的な処刑を手段としていることから、もっとも冷酷な傍観者の間でもショックを引き起こした。また、今では伝説となった彼のオバマ大統領への暴言、長年にわたる米国との同盟への怒りを込めた決別宣言と中国の抱擁はアジアの地政学を真っ逆さまにした。彼の血なまぐさい統治にもかかわらず、ドゥテルテは依然として高い人気を保っており、最新の世論調査でも非常に高い信任レベルが示されている。何がドゥテルテを駆り立てているのか? 何が彼の多くの信奉者に「彼のために死んでもよい」とまで言わせているのか?

 ファシズムは異なる社会的条件の中では異なる形で登場するので、ファシズムが古典的なやり方で進行すると思い込んでいる人たちはしばしば、それがすでに迫っている時でもそれを認識できない。2016年にファシズムはフィリピンにドゥテルテという形でやってきたが、大部分の市民はそのことに気づいていない – ある人々は大統領に絶大な忠誠を示しているために、また、他の人々はむき出しの暴力が今やフィリピン政治の支配原理になりつつあることを認めるのが怖いために。


◆ なぜドゥテルテをファシストと呼べるのか

 昨年8月、ドゥテルテが大統領に就任した1カ月後に私はある討論会に参加していたが、当時はパネリストが新しい政権を性格付けるために婉曲に使っていた「ファシズム」という用語を口に出すことにはかなりの躊躇があった。「ファシスト」という用語を使うのを躊躇することは理解できることだった。なぜなら、この用語は自由民主主義の慣行から何らかの形で逸脱するあらゆる運動やリーダーに対して、非常に大雑把にあてはめられてきたからである。

 しかし、ファシスト的リーダーのいくつかの一般的な特徴がドゥテルテにあてはまることは間違いない。この図式においては、ファシスト的リーダーは a)カリスマ的な個人で、独裁的支配に向かう強い傾向があり、b)複数の階級にわたる興奮状態にある大衆を力の源泉とし、c)基本的人権や市民的権利、政治的権利の系統的かつ大規模な侵害に関与するまたは支援する、d)自由民主主義や社会民主主義の根本的な価値観や目標と対立する政治的計画を提唱する。

 とりあえずこれらの要素がファシスト的リーダーの主要な特徴であるということに同意できるなら、ドゥテルテは楽々とこの要件を満たしている。

◆ オリジナル版のファシスト

 とはいえ、ドゥテルテは固有の特徴を持ったファシスト的人格である。

 彼のカリスマはヒットラーのような神がかりなものではないし、「民族」との感情的な一体感に由来するものでもない。ドゥテルテのカリスマはおそらく「カリノ・ブルタル」(フィリピン・スペイン語で「粗暴な愛」)と呼ぶのが最も適切だろう。これは権力志向、司令官的な人格と、ギャング的な魅力が不安定に混ざり合ったものを表す語であり、彼の支持者たちの間での、「民族的カオス」に終止符を打つ父親的人物への渇望を満たすものである。

 ドゥテルテは神話的な過去の復活を求める反動主義者ではない。彼は現秩序の維持に専心する保守主義者でもない。彼の計画は独裁主義的な未来を指向している。

 彼は、アーノ・マイヤー[米国の歴史学者]を使って、反革命主義者と呼ぶのが最もふさわしい。しかし、彼はヒトラーやムッソリーニと違って、左翼や社会主義に対する反革命を仕掛けているのではない。ドゥテルテの場合、刃先は現在の時代における支配的なイデオロギーであり、支配的な政治システムである自由民主主義に向けられている。その意味で彼は局所的な表現であり、同時に現在進行形のグローバルな現象 – 1990年代初頭にフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」として宣言した自由民主主義的議論に対する反抗 - の先駆者でもある。

 反革命主義者は常に次の行動を明確に意識しているわけではなく、むしろ何が権力に近づく道かを本能的に感知することが多い。イデオロギー的純粋さはそれほど重視されない – 彼らはイデオロギー的一貫性よりも彼らのメッセージの感情に訴える力を重視する。

 イデオロギー的一貫性に与えられる低い優先度は、政治的連合にも適用される。複数の階級にわたる大衆を動員しつつ、一方ではほぼすべてのエリートに支持されて統治するというドゥテルテのやり方は他に例がないわけではない。しかし、彼がオリジナル版のファシストである所以の1つは、彼が左翼の中心的な勢力を与党連合に引き入れたことである。これは以前のファシスト的リーダーの大部分においては考えられないことである。

 しかし、おそらくドゥテルテがファシズムに付け加えた独自の特徴は政治的方法の領域にある。ファシスト的リーダーあるいは党の通常のパターンは、市民的権利の侵害から始まって、権力奪取、そして無差別の弾圧という変遷をたどる。ドゥテルテはこの「マルコス・モデル」の「忍び寄るファシズム」を逆転させている。彼は大規模な超法規的な行動 – つまり麻薬の常習者や密売人と疑われた人たちの法手続きなしの処刑 - から始めて、市民的権利の侵害と権力奪取は大きな組織的抵抗が不在となった政治環境の下での最後の仕上げとして残しておいた。

◆「エドサ」の帰結

 ドゥテルテの台頭は1986年のマルコス打倒の蜂起から生まれたエドサ民主共和政の崩壊を抜きにしては理解できない[エドサは蜂起の中心となったマニラの幹線道路の名前]。実際、エドサの失敗がドゥテルテの成功の条件となった。エドサを失敗させ、ドゥテルテに道を開いたのはエリート階級による選挙制度の独占と、米国によって強要された対外債務返済優先の新自由主義的経済政策のどうしようもない組み合わせだった。

 2016年までにはエドサ共和政の「大衆のエンパワーメント」という約束と、富の分配と多数の人々の貧困という現実、醜悪なまでの不平等、蔓延する腐敗との間のギャップの広がりが明らかとなっていた。エドサ共和政の民主主義、人権、法による統治についての議論はフィリピンの大多数の人々にとっては拘束衣となり、無力さという圧倒的な現実の中にいる自分たちとは関係のないものとなった。

 ドゥテルテの議論はストレートな死の恐怖と、粗野な荒くれ者の話し方、激高した罵倒、そしてエリート階級に向けられた嘲笑的なユーモア(卑猥な表現での攻撃)のミックスであるが、聴衆にとっては爽快で、エドサ共和政の息が詰まるような偽善からの解放を感じさせた。

◆ 権力を手にしたファシズム

 おそらくヒトラー以降のファシスト的リーダーの中で、投票における多数による信任を政治の領域における刷新のために活用するという点で2016年のドゥテルテ以上に迅速で決然としていた者はいないだろう。法手続きなしの処刑はドゥテルテが正式に就任する前からすでに始まっていた。エリート階級の抵抗は崩壊し、リベラル派の政党の約98%がドゥテルテとの連立政権に参加した。ドゥテルテは両院を完全に支配している。最高裁も対決姿勢を取ることを躊躇して、かつての独裁者であったフェルディナンド・マルコスを国立の英雄墓地に埋葬するという大統領の決定に異議を唱えないことを選択した。伝統的に人権擁護の防壁だったカトリック教会も、人気のある大統領と対決しても確実に負けるだろうと考えて、自主規制を行っている。ドゥテルテは司教や聖職者の愛人や児童虐待を暴露すると脅していた。

 ドゥテルテは、外交政策の初心者として、個人的な憤りと鋭い政治的本能から大国、特に米国に対する関係をラディカルに転換した。しかし、多くの人々を驚かせたのは、中国との関係におけるドゥテルテの地政学上の転換に対してフィリピン国内でほとんど抵抗がなかったことである。これはフィリピン人に対する米国の弟分というステレオタイプの見方に反していた。抵抗は主に伝統的に反米的だった人たちの間で、大統領の真意を疑うという観点からのものだった。

 ここでもドゥテルテは巧みな、本能的政治家として立ち回った。

 フィリピンの一般的な人々は多くの場合、米国や米国の制度を崇拝しているが、その一方で米国によるこの国の支配や、米国がこの国に押し付けてきた不平等条約や、この国の文化への「アメリカ的生活スタイル」の圧倒的な影響に対する強い憤りが潜在している。米比関係の底流には支配される側の「承認をめぐる闘争」があることは、ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」の複雑な心理学を研究しなくても理解できることである。ドゥテルテはフィリピン人のこの深層の感情に入り込むことができた – これは左翼の反帝国主義の綱領によってはなしえなかったことである。

 オバマ大統領がドゥテルテによる法手続きなしの処刑を批判したことに対するドゥテルテの支持者からの反米的コメントはネット空間を埋め尽くした。それは国内で彼の麻薬との戦争を批判者する人々への攻撃と同じぐらい強烈だった。他の国における彼と同類の独裁者と同様に、ドゥテルテはナショナリズムと独裁主義を非常に効果的に結合することに成功してきた。多くの進歩派はこれを基本的には「ご都合主義」によって動機づけられていると考えてきたのだが。

◆ フィリピンをどんなサプライズが待っているのか?

 彼の弱点は何か? 反対派の展望は?

 ドゥテルテの弱点の1つは健康問題である。彼は自分の健康問題とフェンタニルへの依存について率直に語っている。フェンタニルはモルヒネの50-100倍の強力な効果がある中毒性の物質で、ヘロインと同じ効果があると言われている。彼が72歳に近づいていることを考えれば年齢問題も小さな問題ではない。ヒトラーは44歳で首相になったし、ムッソリーニは39歳で首相になった。野心的な政治的計画を成功裏に進めるために、活力のレベルは小さな問題ではない。もっと大きな問題は運動の制度化の問題である。

 ドゥテルテの選挙を通じた反乱を牽引した力は、まだ大衆運動に転化されていない。そこでドゥテルテは大統領府長官で、長年にわたる側近のレオンシオ・エバスコに頼っている。エバスコは16年8月に設立された「改革運動」をまとめることによってこの隙間を埋めようとしている。エバスコは最初の政治経験が左派のNDF(民族民主戦線)での活動であり、NDFをモデルにした大衆運動を構想しているかのようである。

 これは容易なことではないだろう。なぜなら、一部のアナリストが指摘しているように、彼はドゥテルテの政治的ライバル – ピメンテル一族、マルコス一族、アロヨ一族など – による競合する計画と競わなければならないからである。彼らはエリート政治家たちを糾合する旧来のスタイルの政治組織を好むだろう。言うまでもなく、そのような路線に沿った政治組織と結びつくことはドゥテルテの選挙を通じた反乱にとっては「死を招くキス」になるだろう。

 より大きな障害物は、政治的・社会的改革が失敗することだろう。

 主要な政治的・経済的エリートたちはほぼすべてドゥテルテへの忠誠を宣言している。したがってドゥテルテにとって主要な支持者を敵に回すことなしに政治的・経済的改革の目標を実現することは至難の技である。マルコス一族は依然として不正によって蓄積した財産を海外に隠匿している。アロヨ一族は多くの胡散臭い取引について告発されてきた。そのほかのエリートたちの多くが同類であり、その多くが現在も裁判中である。しかしドゥテルテとの非常に緊密な関係を考えれば、彼らが汚職のために処罰されることはありそうにない。また、ドゥテルテを全面的に支持するビサヤ・ブロックが非常に不十分な農業改革計画の拡大をもたらす法律に賛成するとは考えられない。さらに、ドゥテルテに忠義を誓っているマニュエル・パンギリナンやラモン・アンのような大手の独占企業の所有者が資産の剥奪に抵抗なしに応じることも考えられない。

 これはドゥテルテがエリートたちの傀儡であるという意味ではない。彼は自分の権力基盤を持っており、それを簡単に友人にも敵にも向けることができるのであり、彼は誰にも追従する必要はない。実際、大部分のエリートたちがドゥテルテに追随しているのは主に自分の安全のためだと言うこともできる。零細の商人がマフィアにショバ代を渡すのと同じことである。むしろ問題は彼が社会的改革をどれだけ本気で考えているのか、エリートたちの間での支持者を敵に回すことをどの程度覚悟しているかということである。

 同じことは経済改革についても言える。彼のもっとも注目された公約の1つだった不安定雇用の増加を止めること(「契約労働の廃止」)は、現在では経営と労働の「ウィンウィン」(双方が得をする)の解決策を目指す交渉の中で行き詰っており、すべての主要な労働組合連合は政府がこの公約を守るという期待を早々に失っている。マクロ経済的な政策においては、ベンジャミン・ディオクノ予算管理大臣やアーネスト・ペルニア国家経済開発庁刊のような典型的なテクノクラートが新自由主義的原理から離れることはまず考えられない。
 ここでも問題は、ドゥテルテが新自由主義は行き詰っていることをどの程度確信しているか、また、彼が政策の変更に伴って外国人投資家の信頼を失うことをどの程度覚悟するかである。

 社会的・経済的改革はドゥテルテのアキレス腱であり、意味のある改革がなされなければ人気はたちまち消散するということはドゥテルテ自身が知っている。失望は反対派の成長の肥沃な土壌である。

 これはこの国にとって中期的には危険なことである。ドゥテルテは早期に大衆的基盤を持つ政党を作ることができたとしても、依然として不満や反対を鎮めるために弾圧的な国家機構に頼ることを必要とするだろう。それはそれほど難しいことではないかもしれない。すでに6千人以上の声明を抹殺した残忍な作戦を率いてきたドゥテルテにとって、市民的自由の抑圧や永続的な非常事態の導入は「仕上げ」の作戦にすぎないだろう。公園を散歩するようなものだ。

◆ エリート階級内の反対派

 そもそも反対派が問題になるのか?

 エリート階級内の反対派は現時点では極度に弱体であり、自由党は日和見主義からか恐怖からか、ドゥテルテの楽隊に加わった。レニ・ロブレド副大統領 – 閣僚会議への出席を拒否された後、閣僚を辞任した - が反対派を率いるということもありそうにない。ロブレドの高潔さは疑う余地はないが、判断力に欠けており、間違った助言を受け入れる傾向があり、国家のリーダーとしての資質をほとんど証明していない。彼女はその支持者たちから見ても、亡夫のジェシー・ロブレド[アキノ政権下の内務・自治長官、飛行機事故で死亡]の名声を政治的資本に変えようとした自由党の策士たちが担ぎ出したという面が大きい。しかも、彼女は依然として不誠実な自由党や前閣僚たちとつながっていることから、ドゥテルテの支持者からも反対派からも信頼されない。

◆ 左派の危機

 さて、左派はどうだろうか?

 ドゥテルテ政権の登場は左派の危機をもたらしている。左翼の1つの潮流、たとえばアクバヤン – 社会民主主義政党で、新自由主義的なアキノ政権に無批判的に参加した- にとって、ドゥテルテ政権の登場は彼らおよび自由党の政権からの周辺化を意味した。彼らは自由党政権の下では基本的に草の根の支持組織となっていた。

 伝統的左翼、あるいは「極左派」と呼ばれているグループにとって、ドゥテルテは別の問題を突き付けている。NDFと共産党はドゥテルテを支持したわけではないが、ドゥテルテによる農業改革、社会福祉、貧困一掃計画の3つの閣僚レベルの役職の提示を受け入れた。彼らはまた、政府と共産党の武装勢力の間の最終的な平和協定を目指す交渉の開始という大統領の提案を受け入れた。

 ドゥテルテにとって、共産党に関係している人物を内閣に参加させることは政権に左翼的な色彩を与え、彼が6月4日にダバオ市で行った勝利演説の中で華やかに語ったように、彼が進歩的あるいは「中途半端な社会主義者」であることの証明となるものだった。

 まもなくこの取引はドゥテルテに有利だったことが明らかになった。政権の中心的な政策である麻薬常習者や密売人の法手続き抜きの殺害がエスカレートする中で、内閣の中での左翼の役割はますます正当化が困難になった。このジレンマは、農業改革の継続を可能にする新たな土地改革法が全く制定されていないという事実、契約労働化をやめるという約束についてほとんど動きがないこと、マクロ経済政策が依然として新自由主義の路線に従っていることによって悪化している。

 しかし、左派は和平交渉を棚上げにしたり、政府機関に接近するのをやめることが困難な状況に置かれている。彼らはすでに和平交渉からいくつかの成果を得ているし、政府機関は彼らに大衆基盤の拡大のために前例のないほど多くの資源を提供している。

 ここでもドゥテルテは鋭い政治的本能を披露した。彼は伝統的左翼の運勢が下向きだったことを知っており、彼らが閣僚ポストを受け入れることに賭けた。それを受け入れた後、そこから離れるのは極度に困難であることを彼は知っていた。左派のリーダーたちは、その代価が残忍な政権への加担だったことを知った。

 共産党とその大衆組織はこの矛盾を緩和するために、ドゥテルテの残忍な政策を非難する声明を発表した。しかしそれは彼らのジレンマをさらに深刻化するだけだった。なぜなら、人々は彼らがなぜ内閣に留まることによって政権に正当性を与え続けているのかを問うだろうからである。ヒトラーやムッソリーニと違って、ドゥテルテは左翼を政権に引き込み、その中で彼らをサンドバックにし、政治勢力として服従させることができた。これまでのところは、それが現実である。

 彼がそのことを十分に意識しているかどうかに関わりなく、ドゥテルテの大統領就任はこの国のすべての重要な政治機構や政治的プレーヤー – 右翼から左翼まで – を大きく震撼させた。

◆ 市民社会が立ち上がる

 この半年間、ドゥテルテに対する本当の反対運動は市民社会から発展してきている。

 この運動を先導しているグループの1つはiDefend(「私は人権と尊厳を擁護する」)というグループで、50以上の大衆組織とNGOが結集しており、法手続き抜きの処刑に反対する継続的な闘いを展開している。もう1つはマルコスの[英雄墓地への]埋葬に反対する連合である。ドゥテルテはこれらの連合を「黄色」[アキノ派のシンボルカラー]と決めつけているが、実際にはその参加者の大部分は進歩派であり、ドゥテルテの政策だけでなく、新自由主義的な「黄色の復活」にも反対している。このほかにドゥテルテのファシスト的な変身に危機感を持つ「エドサ後」世代やミレニアル世代[2000年以降に生まれた、または成人した世代]の新しい、若い活動家たちがいる。

 この成長しつつある反対派は大衆蜂起によってマルコス独裁体制を打倒した1986年の再現を望んでいるわけではない。「歴史は最初は悲劇として現れ、二度目は喜劇として繰り返す」というマルクスの警句を心に留めているのかもしれない。この運動はますます、ファシストの台頭を押し戻すためには、人権と法手続きのための闘争が参加型の政治と経済的民主主義のための革命的綱領 – 多くの人々にとっては社会主義の綱領 - に付け加えられなければならないことを理解しつつある。エドサに戻ることはありえない。

 反対派が心に刻み込んでおくべきことは、権力を握っているファシストに反対するということは、毛沢東の言葉を借りれば、「客を招いてごちそうすること」とは違うのである。それは極度に困難なことであり、大きな犠牲を要求する。しかも短期的・中期的に成功する保証などない。ファシズムの権力は非常に長期にわたって生き延びる可能性がある。スペインのフランコ体制は39年続いた。隣のポルトガルではサラザールのエスタド・ノヴォは42年続いた。

 40年前の反マルコスの抵抗運動と同様に、反ファシスト戦線の闘士たちが支えにできる唯一の確信は、自分たちが正しいことをしているということだけである。それは、ある人々にとっては、命をかけるに値する確信である。

  
posted by attaction at 10:54 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする