2015年03月23日

チュニスから(チュニジア世界社会フォーラム)(1)

2015/3/22, Sun 16:50


FMS Tunisより

小倉です。現地時間(日本より7時間くらい遅い)で午後にチュニジアに到着しました。ドバイ経由でチュニスまで行きましたが、飛行機は満席、中国からの観光客もおり、特に目立って変ったことはなく、空港は前回同様かなり賑やかでした。WSFのボランティアスタッフたちが空港ロビーでミーティングしている現場に遭遇しました。通常通り現地の携帯電話のSIMを調達し、カフェで一服してから市内に移動しました。

空港から市内にタクシーで移動しましたが、市内は各所で警備が強化されていて、放送局など主要な建物の付近は車の通行ができず、宿泊場所までは迂回しました。

ぼくは、ホテルではなく、最近流行りの(?)個人のアパートを旅行者に貸すというタイプのところを借りました。一週間の滞在なのでキッチンがあるのがよかった。値段は、リーズナブルで通常のビジネスホテル並。一泊6000円弱。デモの出発点になるブルギバ(チュニジアの第一代大統領の名前)通りまで徒歩で20分あまり。通りはとくに目立った変化もなく、二年前同様の賑いでしたが、シナゴーグ(チュニジアにも大きなユダヤ教の寺院があります)の前は駐車禁止で警察官が警備していましたが、日本の警察の警備を見慣れた目には、とても緩い感じではあります。

ブルギバ通りは、真ん中がグルーンベルトになっていて前回もここにWSFのテントが設置されましたが、今日までは独立記念日のイベントのテントなどが設置されていて、要所が鉄条網で阻止線がはられていました。こうした阻止線は、2年前もあり、これが今回のテロ対策によるものなのによる強化策なのかかどうかは不明です。そもそもベン・アリ政権下では反政府デモなどほとんどできなかった国ですから、警察が突然民主的になるわけでもないのですが、しかし、にもかかわらず、二年前のWSFのデモは、野党の左派の指導者が殺害された直後という緊張のなかでしたが、驚くほど開放的で、もちろん日本のデモのような過剰警備はなかった。今回はどうなるかはわかりませんが。旧市街のメディナ付近もいつものように観光客への客引きのお兄さんが声をかけてくるなど、日常の風景にテロの面影を感じることはありませんでした。

日本のニュース報道関係者が大挙してチュニジア入りしているということを聞きました。ニュースは、どうしても事件だけを報じて日常の風景をとらえることが苦手です。だから、過剰な雰囲気だけが報じられて、現地にいない人々のパニックをもたらす効果はあっても、現地の人々がこうした出来事のなかで、どのように日常を暮しているのかということへの想像力を得にくくさせているのではないかと思います。結果として、報道関係者や進出企業や政府の外交官たちが情報をコントロールし、かれらとは異なる情報を発信しようとする者たちを余計者として近づけさせないことになり、私たちのが「自己規制」するような恐怖心を煽り、心理的な抑圧効果をもたらすのではと思います。もちろん様々な「不安」はありうるのですが、そのことが、現地の人々の孤立を生み出し、この孤立のなかに、世界社会フォーラムも欧米や日本の覇権に反対する世俗的なオルタナティブを目指す地の人々をも孤立させてしまう。それがまた、テロリズムにとっても、「テロとの戦争」にとっても効果的な暴力の継続をもたらしてしまう。「地元」とか「現地」という言い方はかなりあいまいなのですが、人々のなかには大きな対立や分断があることも事実で、それが「テロリズム」や「宗教的な信条」などをめぐる対立としても、また、世俗主義が左右を問わず陥いった「腐敗」や「縁故主義」による搾取にも象徴されていますが、こうした問題を解決することが暴力(テロリズムであれ正規軍であれ民間軍事会社の傭兵であれ)によって解決できるはずのないものです。そのことを議論し実現するひとつの重要なアクションが世界社会フォーラムだと思います。

世界社会フォーラムの主催者はかなり頑張っていると思います。是非日本からの連帯のメッセージを寄せてほしいと思います。それが世界社会フォーラムに参加する人たちだけでなくチュニジアの人たちの政治的社会的経済的な変革を支援することになると思います。

小倉利丸
 
 
posted by attaction at 10:16 | 世界社会フォーラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする