こんにちは。世界銀子です。
世界銀行は「貧困のない世界を目指して、世界各地で国づくりを支援しています」なんて言っていますが、実際には、IMF世銀から「支援」や「援助」として供給されたマネーが再びIMF世銀に還流している、という批判があります。IMF世銀体制がよく分かる「だまし絵」を紹介しておきます(上記)。向かって左側の上にあるのが世界銀行、左側がIMFですね。そこから流れ落ちた「援助」という滝が、じつは流れ流れてまた世銀/IMFに還流している、というものです。納税者も必死に水(税金)を水の流れに注ぎ込んでいるのですが、水の流れは貧しい人々にほとんど届かず、大企業やリッチマンなどが、その水であふれるプール(タックスヘイブン)で税金も払わずに悠々とすごしている、というものです。図の詳しい説明は英語ですが、Social Watchという団体のウェブサイトから見られます。
・Impossible Financial Architecture(Social Watch)
◆ 世界銀行の概要
1944年に米ニュー・ハンプシャーのブレトンウッズで開かれた会議で、国際復興開発銀行(IBRD)と国際通貨基金(IMF)の設立協定を起草し、45年に発効に発効したところから始まりました。世界銀行は5つの機関のグループの総称で、一般的にはブレトンウッズ会議で設立が話し合われたこのIBRD、あるいはIBRDと1960年に設立された国際開発協会(IDA)の二つの機関をあわせて「世銀」と言っています。
国際復興開発銀行(IBRD)は、中所得国ならびに市場アクセス可能な低所得国に対して融資を行います。1944年のブレトンウッズ会議を経て、1945年に設立されました。加盟国は187カ国です。日本は1952年に加盟しました。IBRDが融資する資金の原資は、世銀債を発行して金融市場で調達します。金融市場で最大の資金調達者のひとつでもあります。世銀債を買うのは個人および機関投資家です。現在日本は、世銀の資金調達額全体の3分の1以上を支える最も重要な市場の一つになっています。IBRDにはIMFの加盟国のみ参加できるということで、世銀とIMFのつながりの強さをうかがわせます。
次に国際開発協会(IDA)ですが、1960年に最貧国向けに贈与と無利子(手数料のみ)の融資を行うことを目的に設立されました。「第二世銀」とも呼ばれています。170カ国が加盟しています。加盟国の拠出金を原資として、81の最貧国(総人口25億人)に年間約60〜90億ドルの譲許的融資を行っています。日本は設立時から加盟しています。
融資額(承認ベース)ですが、2008年はIBRDが135億ドル、IDAが112億ドルで、前年2007年とほぼ同じ水準ですが、金融危機が本格化した2009年にはIBRDは329億ドル、2010年には442億ドルと急増しています。
世銀の財務構成や融資額などについては世銀のウェブサイト(日本語)に分かりやすい図がありますので紹介しておきます。参考として資金調達についてのページも紹介しておきます。
・世界銀行とは
・参考:世銀の資金調達について
◆ 不公正な世銀の構成、意思決定システム
187カ国が参加する世銀の最高意思決定機関は総務会(総会)ですが、政策決定や案件承認は25人の理事から構成される理事会が実質的な権限を持っています。投票権は出資比率、つまりどれだけお金を出しているかに比例しており、国連などの一国一票とはことなる非民主的なものだといえます。
2012年9月現在の投票権割合は米国15.55%、日本9.16%、ドイツ4.58%、フランス4.10%、英国4.10%、中国3.28%、インド2.82%、サウジアラビア2.50%、ロシア2.50%、ブラジル1.87%、韓国1.19%などとなっています。
重要事項の改変には85%の得票率が必要なので、15.55%の投票権を持つ米国は事実上唯一の拒否権を持つ国となっています。また米国、日本、ドイツ、英国、フランスの五大出資国は、一国で一人の理事を出すことができます。中国、ロシア、サウジアラビアも影響力の大きさからか、各国でそれぞれ一人の理事を出しています。そのほかの加盟国は、数カ国が組になって一人の理事を出しています。
・25人の理事の投票権割合(PDFファイル、一番右側のPERCENT OF TOTAL)
世銀はIMFとともに、国連の専門機関なのですが、他の専門機関が課される国連への義務や協力を極力排除しています。
◆ 歴史に見る世銀の政治偏向
世銀は、協定の第4条10項目で、融資の決定は政治に左右されないと謳っていますが、実際には非常に政治的で内政干渉的にふるまってきたことも事実です。世銀は公式には、1930年代のブロック化による世界経済分断、大恐慌の再発防止のために自由貿易を通じて経済成長と完全雇用を達成すると謳っています。ですが、当初の本当の目的は、第二次大戦で破壊された欧州市場を一刻も早く復興させ、米国製品の輸出先とすることでした。
結果的に、欧州の復興が早く進んだことから、その対象を途上国開発に移行させてきました。現在、世銀プロジェクトはさまざまな分野に多様化していますが、最初の17年間は、教育や社会インフラへの投資は全くなく、通信インフラと発電施設に集中していたことからもそれがうかがい知れます。
米国の影響について改めて確認しておきましょう。
現在、翻訳を進めている『世界銀行 終わりなきクーデター』(原題)の著者、エリック・トゥーサン氏は、同書で次のように述べています。
「概して、世銀グループの方針と政策は米国の利益に沿ったものである。これは各国への配分全般や注意を要する政治問題に関して、特に言えることである。世界銀行の国際的性格、その事業形態、経営陣の強さ、世銀の過重投票制度によって、世銀の方針・実務と、米国の長期的経済・政治目標との一致が広範に確保されてきた。」
「(世銀など)多国間開発銀行は、貿易と資本フローの自由化に基づいた国際システムに途上国をより深く参加させることができた。これは米国の輸出、投資、金融の機会拡大を意味する。」
この本では、影響力を拡大しようとしてレーガン大統領が下院院内総務のローバトミッチェルに充てた書簡も紹介されています。レーガンは次のように述べています。
「世銀はその資金のほとんどを、中所得開発途上国の特定の投資プロジェクト支援に振り向けている。これらのほとんどは(フィリピン、エジプト、パキスタン、トルコ、モロッコ、チュニジア、アルゼンチン、インドネシア、ブラジルのように)米国にとって戦略上、かつ、経済的に重要な国ばかりだ。」
◆ 米国の利害のために
一方、米国に敵対的な国々に対しては徹底して冷徹な対応をとってきたことも世銀の特徴です。ソビエト陣営だったポーランドとチェコスロバキアは早々に世銀を脱退しますが、ソ連と論争・対立関係になったユーゴスラビアに対しては、世銀は資金援助を申し出ます。
米国はカストロ政権のキューバ攻撃を手助けしたニカラグアのソモサ独裁政権には融資しましたが、その独裁政権を打倒したサンディニスタ政権になると融資を中止してしまいます。「グアテマラの春」(1944-54年)の後期に成立したアルベンス政権(1950-54年)は土地改革などの民主的改革を進めましたが、米ユナイテッドフルーツ社の利害と衝突。1955年に米国CIAに雇われた軍人らのクーデターによって転覆された後になってはじめて世銀融資が始められています。
チリでは、選挙で選ばれたアジェンデ人民連合政権時代には、世銀は融資額を急激に減らします。そして米国政府の後押しによるクーデターでアジェンデ政権が打倒された後のピノチェット軍事政権になると、世銀は融資額を急激に伸ばしていきます。ベトナムでは、ベトナム戦争終結までIDA(第二世銀)は、アメリカ政府の盟友であった南ベトナムに融資を続けてきました。北ベトナムによる解放戦争勝利後、世銀はベトナムに対して融資を受ける資格はあると考えましたが、ベトナム戦争に敗北した米国は、世銀に対して強力に圧力をかけてベトナムへの融資を停止してしまいます。
最近の事例では、イラクのフセイン時代につみあがった債務に対して、フセインを打倒した後に、ブッシュはアメリカの占領政策に有利になるようにイラクの債務帳消しを行います。世銀やIMFは債務帳消しを実施した国には融資をしないというルールがあったのですが、ブッシュは世銀に対イラク融資を迫り、それを世銀に了承させました。
また米国の産業と競合するプロジェクトに対する融資には極めて消極的でした。たとえば自動車産業や製油産業にはほとんど融資が行われなかったことからも、米国およびその経済界の強い影響力が伺われます。
◆ 過去の歴代総裁はすべて金融関係の米国市民
これも有名な話ですが、これまでの12人の総裁すべてが米国市民です。米国財務相が推薦した米国人が総裁のポストについてきました。歴代総裁の名前、在任期間、そして前歴は次の通りです。12人のうち9人がウォール街など金融機関関係者なのです。
初代 ユージン・メイアー(1946年6月〜12月):ウォール街の銀行家、ワシントンポスト発行者
2 ジョン・ジェイ・マクロイ(1947年〜1949年)チェイス・ナショナル(後のチェイス・マンハッタン)銀行理事
3 ユージン・ロバート・ブラック(1949年〜1963年)チェイス・マンハッタン銀行副頭取
4 ジョージ・デビッド・ウッズ(1963年〜1968年)ファースト・ボストン・コーポレーション頭取
5 ロバート・マクナマラ(1968年〜1981年)フォード社CEO、米国国防省長官
6 アルデン・ウィンシップ・クローセン(1981年〜1986年)バンク・オブ・アメリカ頭取
7 バーバー・コナブル(1986年〜1991年)上院議員、上院・銀行制度委員会メンバー
8 ルイス・トンプソン・プレストン(1991年〜1995年)JPモルガン社長
9 ジェームズ・ウォルフェンソン(1995年〜2005年)H Schroder銀行、ソロモン・ブラザーズ銀行
10 ポール・ウォルフォウィッツ(2005年〜2007年)米国国防副長官
11 ロバート・ゼーリック(2007年〜2012年)ゴールドマンサックス重役、米国国務副長官、米国通商代表
12 ジム・ヨン・キム(2012年〜現在)医学者、NGO“Partners in Health”共同創立者、ダートマス大学学長
2012年春に第12代目の総裁を選出するときは、オコンジョ・イウェアラ財務相、コロンビアのホセ・アントニオ・オカンポ元財務相など、初めて米国以外の複数候補を交えて行われたのですが、米国政府が推薦する韓国系米国人医学者ジム・ヨン・キム氏が予想通り当選しました。初の民族的マイノリティ出身の総裁という意味では変化はありましたが、「世銀総裁は米国市民」という不文律は続いています。
(つづく)