2010年06月29日

メキシコ湾原油流失:世界にあいた穴

ディープウォーター・ホライゾン(石油掘削基地)の惨事は、単なる産業事故ではなく、地球が被ったひどい傷である。メキシコ湾岸からのこの特別報告の中で、ひとりの卓越した著者かつ活動家が、いかにその傷が資本主義の心臓部に於ける傲慢をむき出しにしたかを示している
    
ナオミ・クライン 2010年6月19日(土)付 ガーディアン紙
原文
  
その市民集会に集まった人たちはみんな、BPや米政府からの紳士達に節度を持って振る舞うよう再三指示されていた。これらのお偉いさん達は忙しいスケジュールの合間をぬってわざわざルイジアナ州プラケマインズ教区の高校の体育館に火曜日の夜出向く時間を作ってくれたんだからというわけだ。プラケマインズ教区とは、かの茶色の毒が沼地をずるずると流れ突っ切っている湾岸部の多くの集落の一つで、米国史上最大の環境惨事と呼ばれるようになってしまったものの一部に当たる。

「他人に話しかける際には、自分がそう話しかけて欲しいと思うような、丁寧な話し方で話すように」と、開場からの質問を受け始める直前に、集会の司会が最後のダメ押しをした。

そしてしばらくの間、ほとんど漁民からなる集会参加者は、驚くべきほどの自制心を示した。彼らは愛想の良いBP渉外広報担当官のラリー・トーマスが、彼らの収益損失を補償しろとの訴えに応じようと「鋭意努力している」とだけ言って、そのあと、明らかにトーマス氏ほどにこやかでない下請け契約会社の担当者に詳細説明をまかせてしまうまでは、辛抱強く彼に耳を傾けていた。十分なテスト実験もしていない上にイギリスでは使用禁止になっている製品だと彼らの耳に入っている情報に反して、この下請け会社の人が、原油を覆うように大量に撒かれている原油分散化学薬剤がまったく安全だと知らせると、参加者たちは環境保護庁の役人の話を一言漏らさず聞き分けようと(静かに)していた。しかし海岸警備隊大佐のエド・スタントンが3度目に演台に立って、BPがちゃんと掃除をするのを見届けるつもりだから安心して下さいと言ったとき、参加者たちの忍耐が切れ始めた。
「書面にしろ」と誰かが叫んだ。このときまでにエア・コンは止まってしまっており、バドワイザー提供の冷えたビールは、底をつき始めてきていた。マット・オブライアンというエビ漁師がマイクに近づき、「こんなことはこれ以上聞く必要はない」とけんか腰に言い放った。自分たちにどんな確約がされようと、「あんたらを信じられないから」、関係ないと言った。そしてその発言で、オイラーズ(不幸にもこの名前の付いているある学校のフットボールチームがある)が、タッチダウンで得点したのかと思うほどにおおきな歓声が開場からわき上がった。

その決定的対決は、少なくともカタルシス的効果を持った。何週間もの間、住民らは、ワシントン、ヒューストンそしてロンドンからの威勢の良い話と豪勢な約束の連発で押さえ込まれてきていたから。テレビをつければ、そのたびにBP社長のトニー・ヘイワードが、「事態を何とかします」という神妙な約束を繰りかえしていた。またはバラック・オバマが自分の政権が「メキシコ湾岸を、以前よりましな状態にしてみせる」とか、「この危機を乗り越えることで以前よりも強くなって国民の前に再登場する」とかいう絶対的な自信を披瀝しているのだった。

それらのどれも立派に聞こえた。しかし、自分たちの日々の暮らしが、あの湿地帯の微妙な化学反応に密接に結びついてしまっている人々にとっては、あの大言壮語は、まったくばかげて、痛々しい程にばかげて聞こえたのだ。原油がいったん沼の草の根っこを覆ってしまうと、ここから2〜3マイルのところで現にそうなってしまっているのだが、どんな奇跡的な機械や化学調合物をもってしても、その沼の草を元通りにすることはできないのだ。海水の表面から原油をかすめ取ったり、砂浜からすくいとることはできても、原油につかってしまった沼はそこでそのまま、死んでいくのを待つしかないのだ。沼地がその産卵場所になっているエビ、かに、牡蠣、そして魚など数え切れないほどの多種な生物の幼虫・幼魚が毒に侵されるのだ。

それは既に起きていた。その同じ日のタウンミーティングの前に、私は浅瀬用ボートに乗って近くの沼地を回ってみた。魚は、BPが原油を吸い込ませるために使っていた、分厚い綿切れと網からできている白い防油柵に囲われた海水の中で、飛び跳ねていた。汚れまみれの柵が作っている輪は、絞首索のように周りから魚たちを締め上げているようであった。近くには、赤い羽をしたハゴロモガラスが、原油で汚れた沼地の草の2メートル(7フィート)もある葉片のてっぺんに止まっていた。死がその葉柄をはい上がってきていた。その小さな鳥は、既に点火されたダイナマイトの棒のてっぺんにのっているようなものだった。

そしてさらにいえばそこには、その背の高い鋭い葉片をもつ草自身のこともある。この草はロゾウ・メダケと呼ばれているのだが。もし原油が湿地のかなり深いところまでしみこめば、地面に出ている部分だけでなく、それらの根まで、殺してしまうことになる。それらの根とは、沼地を鮮やかな緑にたもち、ミシシッピー川三角州そしていずれはメキシコ湾へ流れ出させないようしっかり支えているものである。だからプラケマインズ教区のような場所は、自分たちの漁場を失うだけでなく、ハリケーンのカトリーナのような猛烈な嵐の激しさを軽減する物理的障壁の多くをも失うことになるのだ。それは全てを失うことにつながりかねない。

これほどに破壊された生態系が、オバマ政権の内務省長官が実行すると誓ったように「回復し、まったく元通りにもどる」にはどれくらい時間がかかるのだろう。そんなことは遠い将来にも実現可能かどうかさえまったくわかっていない。少なくとも私たちの頭で考えつく時間枠の中では不可能だろう。アラスカの漁場は、1989年のエクソン・ヴァルデス原油流失以来、まだ完全には回復していないし、魚の種類によっては絶滅してしまっている。政府のかかえる科学者達は今、あのヴァルデス規模の原油が、4日に一度、メキシコ湾に流れ込んでいると試算している。1991年の湾岸戦争時の流失よりさらにひどい予測が浮かび上がってくる。当時ペルシャ湾に捨てられた量は11,000,000バレルで、いままでで最大量だといわれてきたのに。あの原油は沼地帯に入り込みそこに滞留し、かにが掘った穴のおかげでどんどん深く沈み込んでいった。全く同じ事を想定できるわけではないが、たいした除去が行われなかったため、惨事の12年後に行われた調査によれば、影響を受けた泥塩湿地とマングローブのほぼ90%はまだひどく痛みつけられたままであった。

私たちはこれだけは分かっている。メキシコ湾岸は、「全く元に戻る」どころか、まず確実に狭く縮められてしまうだろう。メキシコ湾の生き物にあふれた水と飛び交う生き物で騒がしいは空は今日の活気を失うだろう。現在地図上で多くの集落が占めてるスペースも、浸食のせいで縮小されていくだろう。そして湾岸の伝説的な文化もやせ細り、いずれしぼんでしまうだろう。湾岸沿いの漁師住民は、ただ食糧を採取しているということではないわけだから。彼らは一族の伝統、料理、音楽、美術、そして危機にさらされた言語などを複雑なネットワークにまとめ上げてきたわけだから。湿地の草の根が、湿地の存在を支えてきたように。漁業がなくなれば、これらのユニークな文化群は、それらが依拠している根底的枠組みを失ってしまう。(BPは、BPとして、回復の限界を十分承知している。会社のメキシコ湾地域原油流失対応計画は特に担当官達に「資産、自然環境あるいはその他のものでも、もとどおりに回復されるという約束」はしないよう指示されている。だから、担当官達が常に「善処します」というような庶民言葉をより好んで使うのだろう。

もしカトリーナがアメリカの人種差別主義の現実に目を向けさせるためにカーテンを開けたとしたら、BP惨事はもっと隠されていたものを見せるためにカーテンを開けたといえる。我々の中でもっとも長けた人でさえ、私たちが日常的には何の気なしにかかわっているおそれおおい、複雑に絡み合った自然の諸力を制御する力など持ち得ないと言うことだ。BPはそれが地球に開けた穴をふさげないのだ。オバマをもってしても様々な種類の魚に生き残れとか、ブラウンペリカンに絶滅するなと命ずることはできない(彼がだれの尻をはたいてもである)。どんな額のお金をもってしても―BPが最近提示した20,000,000,000ドル(13,000.000.000ポンド)をもってしても、たとえ100,000,000,000ドルでも―根っこを失った文化を取り戻せない。そして政治家や企業のリーダー達がこの真実を受け入れるようになるまでの間に、空気、水、生活の手段が汚染されてしまった人々は、さっさと幻想を捨てようとしている。

「何もかもが死に瀕している」と、市民集会がついに終わりに近づいたとき、口を切った一人の女性は次のように続けた。「どうして私たちの湾が再生可能で元に戻るなんて真顔でいえるの?ここに来ているあなた方のひとりとして私たちの湾に何が起こるか知らないからよ。だから、あなた方は悪びれない顔をしてここに座り、何も知らないのに知っているようにしゃべれるんだわ」と。

この湾岸危機はいろんな事を巡る問題である―汚職、規制緩和、化石燃料への病的依存などの。しかしこれら全ての下層部においては、それは次のような事を巡る問題なのである:自然を根本的に操作・加工しても私たちを支えている自然の有機的構造の犠牲を最小限にとどめることができるぐらい自然を完全に理解し制御できるという私たちの文化の恐ろしく危険な主張だ。しかし、BP惨事が明らかにしたように、自然はいつももっとも洗練された数学的・地学的モデルが想像しうるものよりずっと予測不可能なのである。木曜日の議会証言で、ヘイワードはこう発言した:「この危機に対応するために最高の頭脳と極められた専門的技術を持ち込んでいる。平和時に1ケ所にこれ程の技術的有能さを備えた大きなチームが編成されることは、1960年代の宇宙開発計画を除いては考えがたい」と。ところが、地質学者ジル・シュナイダーマンがいみじくも“パンドラの井戸”と描写したものを目の前にして、彼らはあの体育館の前の方に陣取っていた男達のようである:分かっているように振る舞っているが、彼らは分かっていないのだ。

BP綱領

人間の歴史が描く弧の中で、自然が人間の意志のもとに加工することのできる機械であるという考えは比較的最近の思い上がりである。1980年に出た革新的な本であ『自然の死』の中で、環境歴史学者のキャロライン・マーチャントは、1600年代までは地球は、だいたいは母親の姿をして生きていた。ヨーロッパ人は、世界中の先住民族同様、この惑星が生命を生み出す力だけでなく怒りにみちた気質もそなえた生命体だと信じていた。このこと故に、鉱山採掘も含めて“母親”を変形させたり汚したりする行為に対しては強いタブーがあった。

この隠喩は、1600年代の科学革命の間に、自然の不思議のいくつか(決して全部ではない)の解明とともに、変わった。今や神秘も聖性もはぎ取られた機械として見なされる自然を、人間は何の責めを負うことなく、その構成物をせき止めたり、抽出したり、改造したりできるようになった。自然はまだ時々女性のように立ち現れるが、簡単に支配・従属させられるものとしてである。フランシス・ベーコンが1623年の『科学の威厳と進歩について』の中で自然は閉じこめられ、改造され、人間の芸術と人間の手によってまるで新しいもののように作り替えられると書いた時、彼は当時の新しいエトスをもっとも的確にとらえていた。

あのフランシス・ベーコンの言葉は、BPの企業使命声明であってもおかしくない。大胆にも“エネルギーの最前線”と自称するものに陣取って、メタンを生成する微生物の合成に手を出し、調査探求の新しい領域は地質工学になるだろうと発表した。そしてもちろんメキシコ湾のテベレ・プロスペクトで、原油・ガス産業によって掘られたもっとも深い井戸を、ジェット機が頭上を飛ぶように海底深く沈んだものを手に入れたと自慢気に語った。

生命と地質を構成する積み木を改造するこれらの実験がうまくいかなかったら起きるであろう事を想像しそれに備える事は、企業の想像力の中では、占める余地がほとんどないのだ。4月20日に、ディープウォーター・ホライゾン基地の索具が破裂した後、私たちが全面的に知り得たように、会社にはこのシナリオに効果的に対応するシステムの準備がなかった。最終的には失敗に終わったが海岸で発動されるべく待ち受けていた包囲用ドームさえなぜ準備していなかったのかを説明した際に、BPスポークスマンのスティーヴ・ラインハルトは「誰も今我々が直面しているような事態を予測できたとは思えない」と言った。そもそも破裂防止装置がうまく働かなくなるなどと言うことは“考えられないように思えた、”だからなぜそんな準備をする必要があるのかということだったらしい。

失敗を考えることの拒否は明らかにトップから直接きた。1年前スタンフォード大学で、学部の学生たちの一団
に自分の机には次のような座右の銘版が置いてあると紹介している:「絶対失敗はあり得ないと確信していたら、なにを試めすのか」。無邪気でひらめきを誘うようなスローガンからはほど遠く、これはBPやその競争相手たちが現実の世界で振る舞ったその振る舞い方を正確に言い当てているものだった。米国議会の最近の公聴会の中でマサチュッセツ州選出のエド・マーキー議員は世界のトップ石油・ガス会社からの代表らを、資材をどのように配分しているかが明らかになるような仕方で、かなりごりごりと追求した。3年間に亘って、彼らは新しい石油とガスの探索には、39,000,000,000ドルつぎ込んでおきながら、安全と事故防止と流失対応の研究・開発には年平均わずか20,000,000ドルしか投資していなかった。

これらの優先順位はなぜ、あの不幸をもたらしたディープウォーター・ホライゾン油井に対してBPが米政府に提出した最初の探索計画が人間の不遜を題材にしたギリシャ悲劇のように読めてしまうのかを説明するのにたいへん役に立つ。「ほとんどリスクがない」という表現が5回登場する。たとえ流失があっても、検証済みの設備と技術のおかげで、有害な作用は最低限に押さえ込めると自信を持って予測している。その報告者は、自然を予測可能で親和的な準パートナー(あるいは下請け契約会社)であるかのようにみせ、万が一流失が起きれば、「海流と微生物による分解が、水層から原油を除去するか、原油構成物質を基本濃度までに薄めるだろう」とのんきな説明をしている。一方魚への影響は、成魚や甲殻類には「流失物を避けて炭化水素を新陳代謝する能力」があるので、「致死的なものにはならないだろう」と。(BPの言い方だと、流失は、とてつもない恐怖というよりは海水生物のための「全部食べれるビュッフェ」のように見えてくる)

もっとも幸いなことは、大きな流失が起きても、会社が予測する迅速な対応(!)と、索具から海岸までの距離―約48マイル(77キロメートル)ゆえに、海岸線への接触や影響の危険性はほとんどない、ということのようだ。これは彼らの主張の中でももっとも驚くべきものだ。ハリケーン襲来の可能性を持ち出さなくても、毎時70キロ以上の風に見舞われるのが珍しくない湾において、BPは、原油がたった77キロの旅をする可能性があることすら思いつかない程、海洋が持つ、ひいたり、流れたり、満ちたりする能力に敬意を払わずにきたのだ。(先週、ディープウォーター・ホライゾンが306キロ離れたフロリダの砂浜に姿を現した。)

この無責任ないい加減さのどれ一つとっても、もしBPが自然は本当に制御されたと信じたがっていた政治集団にその予測をしていたのでなければ、起きなくてすんだものだ。共和党議員のリサ・ムルコウスキーのような何人かがとくにそう信じたがっていた。あのアラスカ選出の上院議員は、石油産業の4面体人工地震画像化に恐れおののくほどに圧倒され、深海掘削が制御された人工性の極みに到達したと宣言するほどだった。「工業技術を
携えて何千年も昔の資源を探しに行ける、しかも環境汚染のない方法で、という意味ではディズニーランド
よりもっと良い」とたった7ヶ月前に上院エネルギー委員会で語っていた。

考えることをせずに掘削するという手法はもちろん2008年5月以来の共和党の政策であった。ガス価格の未曾有の跳ね上がりにともなって、保守派のリーダーであるヌート・ギングリッチが、“ここ掘れ、今掘れ、払いを
減らせ“と今を強調したのがこのときだった。大騒ぎで人々を巻き込んだキャンペーンは「慎重さ・研究・測られた行動」に反対する叫びであった。ギングリッチの言うことには、ガスや石油があるかもしれないところではどこでも―ロッキー山脈の泥版岩、北極国立野生保護区、沖合の深海などに閉じこめられていると思われるが―地元で掘削することが、同時にガソリンスタンドでの値段を下げ、仕事を増やし、アラブ諸国の鼻をあかしてやることになるのだった。この3つの勝利を前にしたら、環境のことを気にするのは、臆病者とされた。ミッチ・マッコンエル上院議員が言ったように:「アラバマ州、ミッシシッピー州、ルイジアナ州、そしてテキサス州では
人々が原油掘削装置はきれいだと思っている」。悪名高き“掘れ、おまえ、掘れ”共和党全国大会が動き始めた頃までには、共和党本部は、もし誰かが十分大きい掘削機を持ち込んできていたら、大会会場の床下を掘り始めたであろうと思われるほど、合衆国産化石燃料を求めて沸きに沸いていた。

オバマは、結局、屈してしまった。そのほかのことでもことごとくそうであるように。ディープウォーター・ホライゾンが爆発する3ヶ月前に、最大級の悪いタイミングで、大統領はそれまで保護されてきた国内の地域を沖合掘削に解禁することを表明した。その作業は彼が考えていたほど危険を伴うものではなかったと説明した。「今日の原油掘削装置は一般的には流失を起こさない。技術的にたいへん進歩しているから」と。しかしそんな説明では、サラ・ペイリンを満足させられなかった。彼女は地域によっては掘削前にもっと研究・調査を行うというオバマ政権の計画をあざ笑った。「まあまあ、みなさん、これらの地域はもう死ぬほど調査されましたよ」とあの破裂の11日前に、ニューオーリーンズの南部共和党幹部会議で語った。「さあ掘りましょう。あんた、さあ掘りましょう。止めないで、あんた、やめないで!」と。そして大いに盛り上がったのだった。

議会での証人尋問で、ヘイワードは言った:「私たちと石油・ガス産業全体がこのおそろしい出来事から学ぶことになる」と。そしてこのような大規模の惨事はBP幹部と“今掘れ”群衆に一つの新しい恥じ入る気持ちを植え付けたと想像するのがふつうであろう。しかしながら、そうだという痕跡が見あたらないのだ。この惨事への反応は、企業と政府のレベルでは、そもそもこの惨事をひきおこしたのと同じあの傲慢とひどく明るい見通しの類に満ちていた。

海洋は広大だから、それを受けとめられると、最初の何日間かヘイワードが言うのを聞いた。一方ジョン・カリ
ー報道官は腹を空かせた微生物が水系の中にある油分はどんなものでも食べてくれる、なぜなら「自然は事態を
好転させる仕組みをそなえている」からと強調した。しかし自然は協力してくれていない。深海噴油井はBPのすべての山高帽のような蓋、封じ込め用ドーム、そして噴入されたゴムなどを突き破った。原油を吸い取るためにBPが広く並べた軽量の防油柵を大洋の風と海流がわらいものにした。「我々は彼らに言ったんだよ。原油は防油柵を越えていくか防油柵の底の下を流れていくって」とルイジアナ州牡蠣協会の代表バイロン・エンカラーデが言った。確かにそのとおりになった。この原油掃除を綿密に追ってきていた海洋生物学者のリック・シュタイナーは、防油柵の70%か80%はまったく何の役にも立っていないと概算している。

そしてそれからあの議論になっている原油分散化学薬剤がある:1,300,000ギャロン以上が、BPのトレードマ
ークの「何事もうまくいかないはずがない」的態度で、投与された。プラケマインズ教区の市民集会で怒っていた住民がいみじくも指摘したように、たいした数のテスト実験もせずに、この前例のない大量の分散された原油が海洋生物にどんな影響を及ぼすかについてほとんど調査もない。急速に増殖していく微生物は確かに水面下の
原油を飲み込むが、その過程で水中の酸素も吸収し、海洋生物に全く新たな脅威をもたらす。

BPは無謀にも原油に覆われた浜辺のありがたくないイメージを食い止め、鳥が惨事の現場周辺から逃げていくのも食い止められるとさえ想像していた。テレビクルーと海に出ていた時、例えば、別なボートに近づかれ、「あんたらみんなBPの仕事をしてるの?」と訊かれた。そうでないと言うと,公海なのに、「じゃあ、あんたらはここにいられないよ」と返された。しかしもちろんこれらの不器用で強圧的な手法は、彼らのその他の手法同様、失敗したわけだが。もうあまりにもたくさんの場所に大量の原油が散らばってしまったから(どうあがいてもダメなのだ)。「神の空気にどこへ流れろ、どこへ行けと言えないように、海水にもどこへ流れろ、どこへ行けとは言えない」とデブラ・ラミレズが語った。それはルイジアナ州のモスヴィルに住んで、放射物を吐き出している14もの石油化学工場に囲まれ、病気が隣人から隣人へと広がって行くのを見てきた彼女が学んだ教訓だった。

人間の限界というものがこの惨劇の不変項であった。二ヶ月経った今でもどれだけの原油が流れているのか、あるいはいつ止まるのか我々には分からない。8月末までにリリーフ油井を完成させるというBPの主張は、大統領執務室からオバマによっても何度も繰り返されているが、多くの科学者からははったりだと見られている。その作業方法は危なっかしく、失敗しかねないし、原油が何年もの間漏れ続ける可能性も大なのだ。

否認の流れの方も収まる兆しがない。ルイジアナ州の政治家達は、深海掘削一時凍結というオバマ判断に憤然と反対している。漁業と観光業が危機に晒された今、唯一残っている大きな産業をつぶすつもりかとオバマを責めている。ペイリンは、フェイスブックで、「どんな人間の努力もリスクなしにはあり得ない」と黙想に耽っている
し、テキサス選出議員ジョン・カルバーソンはこの惨事を“統計的異例(変則)”だと名づけた。しかしながら、この傾向の極みともいえるもっと社会病質的反応がワシントンのベテランコメンテイターであるレウェリン・キングから発せられた:大きな技術的リスクから目を背けるのではなく、「地球の地下の蓋を開けてしまえるようなすばらしい機械をつくることができたことに大いに驚嘆するべくちょっと立ち止まるべきではないだろうか」と。

出血を止まらせろ。

うれしいことに、多くの人がこの惨事から全く違った教訓を受け取っている。自然を改造できる人間の力に驚嘆して立ち止まっているのではなく、私たちが勝手に蓋をはずして放出させた強烈な自然の力に太刀打ちできない人間の非力にである。さらにこんな事もある。それは海洋の底にあいた穴は工業技術事故あるいは機械の破損にとどまらないという感じ方だ。それは生体に生じた強烈な傷である:すなわちその傷が私たちの一部なのだとい
うことだ。そしてBPの生映像配信のおかげで、我々は皆地球の内臓が噴出するのを一日24時間リアルタイムで観ることができる。

水管理人同盟所属の環境保護主義者であるジョン・ウェイサンは、この惨事の直後の何日間か流失の上を飛んだ数少ない独立的立場の観察者だった。沿岸警備隊員が礼を尽くして“虹色の光沢物”と呼んだ原油の赤く分厚い縞模様を映像に収めたあと、彼は、多くの人が感じたかもしれないと思えることを観た:「メキシコ湾は血を流しているように見えた」と。この比喩的表現はいくつもの会話やインタビューで繰り返し登場する。ニューオーリーンズの環境権弁護士であるモニック・ハーデンは、この惨事を“原油流失”と呼ぶことを拒否し、「私たちは出血している」と言う。人によっては「出血をとめる」必要を語る。そして私個人的には、連邦沿岸警備隊員と共にディープウォーター・ホライゾン油井が沈んだあたりの海洋の一体の上空を飛んだとき、波の中に原油が作り出している渦巻きが、驚くほど洞窟の壁画に似て見えた:それは羽のようにふわふわした肺が空気を求めてあえぎ、目が上方を凝視する、大昔の鳥。深部からのメッセージだった。

そしてこれこそがこの湾岸物語のもっとも不思議なねじれ(意外な展開)なのだ:この物語は地球がけっして機械ではなかったのだという現実に私たちを目覚めさせようとしている。死んだと宣言された400年後、しかもこんなにも多くの死の真っ直中で、地球は生き返ってきている。

生態系の中を突っ切っての原油の進行を追うという経験は、地中深部の生態学の猛スピード学習コースのようなものだ。毎日私たちは世界のある孤立した地域の恐ろしい問題であるように見えたものが、実際には私たちが想像もできなかった形でいかに放射・拡大していくかを学ぶ。ある日私たちは原油がキューバ、そしてさらにはヨーロッパへたどり着く可能性があることを学ぶ。次に私たちは大西洋をずっと北上したカナダのプリンスエドワード島で漁師達が、自分たちが沖合で捕獲するクロマグロが何千マイルも離れた原油で汚染された湾岸の海水中で生まれていることを心配していると聞く。そして私たちは次のようなことも学ぶ。鳥にとっては、湾岸湿地帯が、だれもが中継地としているらしいにぎやかなハブ空港に相当することを。渡り鳥である110種もの鳴鳥やアメリカ水鳥の75%にとって。

理解しがたいカオス論者がブラジルで羽を羽ばたかせているチョウチョがテキサスで竜巻を起こしうるなどと言うのを耳にするのと、カオス論そのものが目の前で展開されるのを観るのとでは大違いだ。キャロライン・マーチャントはそのレッスンを次のように説明する:「BPが悲惨にもまた遅まきながら発見したように、問題は
活性勢力としての自然は制御できないということだ」と。生態系の中においては予測可能な結果は特異なのであって、「予測不可能なカオス的出来事こそが普通」なのだ。そしてまだ解せない場合を考えて付言すると、2〜3日前、稲妻が感嘆符のようにBPの船を直撃し、その原油包囲努力を中断させたのだ。ハリケーンがBPの有毒
混合物に何をするかは言うまでもない。

この惨事による啓発への独特な回路について特異的なねじれ現象があることを強調しておかなければならない。アメリカ人が諸外国がどこにあるかを知るのはそれらの国を爆撃してからだと人は言う。今回私たちは皆、自然
に毒を盛って初めて、自然の循環器系について学んでいるようだ。

1990年代後半、コロンビアの孤立した先住民族集団が、ほぼアヴァター的対立で、ニュースのトップを飾った。すなわちウワは、アンデスの雲上の森の中の遙かかなたの地から、もしオクシデンタル・ペトローリアムが彼らの領土の原油を掘削する計画を実行に移したら崖から飛び降りる儀式的集団自殺を決行すると知らしめたのだ。彼らの長老達は、原油は彼らのルイリア、すなわち“母なる地球の血”の一部だと説明した。彼らは自分たちも含めて全ての生命が、ルイリアから流れ出ているので、原油を取り出すことは生命の破壊をもたらすと信じている。
(オクシデンタル・ペトローリアムは、以前に予測していたほど原油が存在していなかったと言って、やがてその地域から撤退していった)

ほぼすべての先住民族は、かの科学革命前のヨーロッパ文化がそうであったように、岩、山、氷河、森などの自然界に住む神々や精霊たちについての神話を持っている。コンコルディア大学の人類学者であるカチャ・ニーヴィスは、儀式的慣習は実利的な目的にかなっていると指摘する。地球を「聖なる」と呼ぶことは、我々が完全には理解できない諸勢力を前にして、謙虚な気持ちを表現する別な仕方なのだ。何かが「聖神」だとなると、それは我々に、慎重にいけと言っているわけだ。恐れさえも抱けと。

もし私たちがこのレッスンをやっとのことで吸収したら、意味するところのものは奥深くなりうる。さらなる沖合
掘削への世論の支持は急激に落ちて来ている。“今掘れ”騒ぎの頂点から22%まで。しかし問題はまだ片づいていない。オバマ政権が今や精巧な新技術と厳しい新規制のおかげで北極海の中でも深海掘削が全く安全になった
と発表するのも時間の問題だ。北極海では、氷の下の掃除は今進行中の湾岸での掃除よりとてつもなくはるかに
複雑になるだろうに。もっとも、北極海の話が出る場合は、そう簡単に安心させられないし、数少ない保護されている楽園でそんなにすぐギャンブルすることはないだろう。

地質工学についても同じことが言える。気候変動交渉が長引く間にオバマ政権の科学のためのエネルギー副長官であるスティーブン・クーニン博士からもっといろいろ聞かされる覚悟をしていなければならない。彼は気候変動には大気中に硫黄塩やアルミの粒子を放つというような工学的トリックで対処できる、しかも全て、ディズニーランドのようにまったく安全だという考えの主導的な提唱者の一人である。さらに彼はBPの前主任科学官であり、
たったの15ヶ月前まで、BPの安全だと言われていた深海掘削の推進を背後から支える工学技術をまだ管理監督していたのだ。多分今回は、この善良なる博士が地球の物理と化学で勝手な実験をするようなまねはさせないという選択肢を採って、我々の消費を削減し、失敗しても小さな失敗ですむという徳を備えた再生可能なエネルギーに切り替えていくという方向を選ぶだろう。米国人コメディアンのビル・マハールが言ったように「海の中へ風車が崩れ落ちたら何が起こるかみなさんご存じでしょう。パシャですよね。」

この惨事から得られたもっとも前向きな産物は、風のような再生可能なエネルギー源利用の加速だけでなく、科学に於ける用心・警戒・予防の原則の完全なる承認である。ヘイワードの“失敗しようがないと分かっているんだったら”信条の真逆をいく用心・警戒・予防の原則は、ある行為が自然環境か人間の健康に害を及ぼす恐れが
出てきたら、失敗もあり得る、いや多分失敗するだろうと想定して、慎重に進める事を是とする。もしかしてヘイワードには、補償のための小切手を切りながら沈思黙考できるように、彼の机用につぎのような座右の銘版を差し上げたらいいかも:人は知っているかのように振る舞うけど、実は知らないのだ。

ナオミ・クラインはアルジャジーラ英語テレビ主催のドキュメンタリー番組である「断層(断絶・分裂)」の映像班と一緒にメキシコ湾岸を訪れたのだった。彼女はその映画の顧問であった。

posted by attaction at 07:53 | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする