
あれから10年:可能なもうひとつの世界のための課題と提案
スーザン・ジョージ(Susan George)
2010年1月25-29日、ブラジル・ポルトアレグレで開催されるセミナー「あれから10年」のための報告。TNI(トランスナショナル・インスティチュート)のウェブより:
原題は”Ten years later: challenges and proposals for another possible world”
世界社会フォーラムの集まりはいつも希望に満ちていますが、この1年を振り返って、あまり喜べるようなことはなかったと誰もが感じているのではないでしょうか。この1年のクライマックスは、コペンハーゲンの大失敗でした。これは人類にとって、ただ事ではない悪い知らせでした。また、恐ろしいほど陳腐なG20会合が二度にわたって開催されました。この会合のはっきりした目的は、できる限り早い時期に「ビジネス・アズ・ユージュアル」(これまで通りのやり方)に戻ることでした。G20による解決策は、IMFを消滅から救い出すために、総額7500億ドルもの税金を、何の条件もつけずに差し出すというものでした。こうしてIMFは再び、猛烈な構造調整政策を、その犠牲となる国に押し付ける自由を得たのです。タックスヘイブン(租税回避地)をめぐってちょっとした騒動がありましたが、G20は誰も心配しなくてもいいように対立を収拾し、タックスヘイブンに関するOECDのブラックリストにはもはや該当する国はないという信じられないような発表を行いました。
そうこうするうちに、銀行は各国政府の支援によって瀕死の状態から復活し、そのままこれまで通りのやり方に戻りました。投入された数兆ドルに及ぶ税金の一部が返済されましたが、だからといってすべてのことがよい方向に変わるわけではありません。たぶんいくつかの小さな規制措置が導入されるでしょうが、主要な金融機関に対してグラス・スティーガル法[米国で1933年に制定された銀行法、銀行業務と証券業務を分離。銀行・証券会社の圧力により1999年に廃止]のような規制が導入されることはないでしょう。それらの金融機関は依然として「大きすぎてつぶせないが、救済できないほどではない」という状態のままです。米国の金融機関はこれまでに50億ドル以上のお金をかけてロビー活動を行い、たくさんの規制を廃止させてきました。金融危機は彼らの活動の直接の結果なのです。
ほとんどの専門家たちは金融崩壊を予測できませんでしたが、彼らは2009年の初めには、かぼそい声で、偽りに満ちた言い訳として、「危機は誰も予想できなかったことだ」と言いました。同じ年の末には、彼らは一斉に「危機は過ぎた」と宣言しました。このどちらも本当ではありません。多くの人たちが危機が切迫していると言っていましたが、無視されたのです。危機は、どんな基準から見ても、決して過ぎてはいません。いくつかの株式市場が中途半端な回復を示しているだけです。しかし、銀行は非常にうまくやっています。2009年11月にはゴールドマンサックスは1日に1億ドルをかき集めていると言われています。
G20が正式にG7(あるいはG8)に替わろうとしていますが、当初は、BRICsが参加していることで何か変化が起きるかもしれないと考えたかもしれません。今では、私たちはそれがどうなっているかを知っています。新参者たちは、従来からの大物たちと同じテーブルに着くことにうかれるあまり、波風を立てないことを暗黙に約束してしまっています。G20に呼ばれていない172の国がこの新しい機構から期待できるものはほとんど、あるいはまったくありません。これらの国が無視されていることは、コペンハーゲンで露骨に確証されました。
金融の新しい技法について、甘く見てはいけません。救済され、立ち直った銀行は、新しい商品を販売しています。やり方はサブプライムローンをもとにした「債務担保証券」(CDO)とほとんど同じです。前回はサブプライムローンを買い集め、パッケージにして全世界の顧客に売ったのですが、今回は高齢者や慢性的な病気を持つ人たちの保険証書を安く買い入れ、AIDS、アルツハイマー症、癌、糖尿病などを組み合わせたパッケージにして投資家に売ります。死期がどのぐらい早く、保険会社が保険金全額を支払った時にどのぐらいの利益が得られるかについての統計的な期待を売るのです。これまで、「死」は売買可能な商品ではありませんでしたが、この考え方が修正されてしまいました。
しかし、銀行や証券市場の基準以外のあらゆる基準から考えて、危機がまだ去っていないことは間違いありません。失業や不安定な労働が大幅に拡大しています。国内でも国家間でも、格差はこれまでに例がなかったぐらいに拡大しています。銀行が中小企業への融資を行わないため、倒産が続いています。食糧価格の暴騰は2008年に新たに1億人の人々を慢性的飢餓へ落とし込みましたが、その大きな原因は米国やヨーロッパで作物が食糧ではなくバイオ燃料として消費されたことと、商品市場における投機です。この暴騰はこの年の後半にはやや小康状態になりましたが、2009年に再び始まり、今も続いています。今お話していることは、世界社会フォーラムに参加している人たちはよく御存知なので、詳しくはお話しません。
私にとっては、この経済の残念な状況から導かれる結論は、次のようなことです。新自由主義の勝利は続いており、ごく少数の人々にとてつもない利益をもたらしています。これはG20諸国の政府によって大いに助けられています。これらの政府が銀行の意志に反する重大な決定を行う兆候はありません。世界の構造を一連の同心円、あるいは同心の球として考えると、最初の、もっとも影響力の強い円あるいは球には「金融」というマークがついています。これは今では実体経済とは乖離しています。金融機関の融資の80%以上は金融セクターに回っており、実際の生産や流通、消費には回っていません。2番目の円あるいは球は、「経済」です。労働力コストや税金がもっとも安い所を求めて、どこへでも移動します。「金融」と「経済」が結託して「社会」を規制し、社会がどのように編成されるべきかを指図しています。それは明らかに、市民の必要を満たすようには編成されていません。最後に、そして最も軽視されてきたものが「環境」です。コペンハーゲンの会合は、この最も小さい、最も軽視されている円あるいは球が依然として、私たちが石油、天然ガス、石炭などの資源を取り出し、廃棄物を捨てる場所となっています。
世界社会フォーラム、そしてそれに連帯している(意識的にかどうかは別にして)すべての人々にとっての課題は、これらの円あるいは球の順序を逆にして、「環境」がその本来の位置に置かれる、つまり、人類と文明の存続の可能性を決める条件として認識されるようにすることです。私たちは地球が私たちに与えた制約に従わなければなりません。なぜなら、そうしなければ生存し続けることができないからです。次が「社会」です。すべての人の基本的な必要が認められ、満たされ、公共サービスが当然のこととして提供され、雇用機会が増え、不平等が消滅するような方法で民主的に構成される社会です。「経済」は、もっと協同組合的な事業体によって社会の必要が満たされるように構成される必要があります。そのような社会の中でも市場は重要な役割を持っており、伝統的な供給と需要の相互関係に基づいて機能します。なぜなら、市場は適切に規制されている限りは、効率的で、創造的活動を促進することができるからです。ソヴィエト型の中央集権的計画経済は必要ありませんが、特定の産業や活動、とくに環境に関わる産業の発展を促進するために、政府による重点的な支出が活用されます。最後に、「金融」は経済の主人ではなく、経済に奉仕する手段となります。
以上は私が世界社会フォーラムが目指すべきだと考えている大まかな枠組です。私は多くの具体的な提案を用意していますので、それについて詳しく述べます。
- 公的資金を受け取ったすべての銀行は、少なくとも部分的には国有化・社会化し、中小規模の社会的企業やグリーンな企業への無利子の融資を義務付けること。これは再生可能エネルギーを基本とする経済への移行と協同組合的管理を促進します。
- 雇用創出につながるケインズ主義的なグリーン産業基盤プロジェクト。その資金は、特別の債権を通じて調達します[ヨーロッパにおいては、これは欧州中央銀行の役割を変えることを意味します]。
- 所得の制限についての論争を開始する。最低水準の賃金を100としたときに、最高水準の賃金の天井をどうするべきでしょうか。500? 1000? 10.000? 貧困についてはいくらでも調査報告書がありますが、金持ちについては調査報告書はありません。
- タックスヘイブンに関する国際的なキャンペーン。あらゆる金融取引に対する税をはじめとする国際課税。それによる歳入の少なくとも一部は、貧困国における気候変動の影響緩和措置のための資金に充当する。新自由主義によって廃止された富裕税を再導入し、それを公共サービスのために資金に充当する。
- 多国籍企業による価格移転や資本の本国送金の実態を明らかにし、それを規制することを可能にする国際会計システムの導入。
- グラス・スティーガル法に規定するような銀行業務の分離を復活する(ヨーロッパにおいては新規導入)。信用を公共財とみなす[当然にも慎重な配慮の原則に従う]。過去10-15年間に廃止されてきた種々の規制、特に商品市場に対する規制の再確立。
- 最貧国における債務を帳消して、森林再生と生物種保全のために資金を充当できるようにする。
コペンハーゲンで実現した唯一の成果は、社会運動と環境運動の結合でした。それらの運動はようやく、別々には勝利できないことを最終的に理解したと思われます。世界社会フォーラムはこの連合を強化し、深め、さらに、平和運動や反戦運動団体をこの連合に引き入れるために努力しなければなりません、政府は私たちによって強制されない限り何もしようとしません。
私は依然として世界社会フォーラムは毎年の行動デーや、2003年2月15日にやったような、イラク侵略反対のための全世界的行動の呼びかけなどの活動を続けるべきだと考えています。共通の、広範な結集を可能にするテーマと、わかりやすく、多くの人たちに開かれたタイトル(雇用、公正、気候など)と、全世界から寄せられるアイデアと、誰もが最小限の道具を持って参加できテレビの注目を引くような行動を通じてです。
私が会うジャーナリストは皆、話しの最初に、「運動は終わった」と言います。確かに、運動は見えなくなっていますし、2009年には巨大なチャンスを逃してしまったかもしれません。2010年はもっとうまく、もっと焦点を絞り込んだ、もっと精力的で、もっと目的意識的な運動が組織され、そして変革のための運動が勝利しはじめることを私は期待します。