2008年06月27日

機は熟した、金融市場に対する民主的統制を!--金融危機と民主的オールターナティブについてのATTACの声明(草案)

機は熟した、金融市場に対する民主的統制を!
金融危機と民主的オールターナティブについての
ATTACの声明(草案)

原文(ただし、以下は英文からの翻訳です)
訳:ATTACみたか

「市場を武装解除せよ!」
 ATTACが1998年に創設された時、東南アジアの金融クラッシュの背景となったものに反対して、このスローガンが定式化された。それからしばらくして、われわれは金融市場が引き金となったそれ以外の危機を、ロシア、ブラジル、トルコ、アルゼンチンで目の当たりにし、そして2001年の「ニューエコノミー」バブルの破綻を目撃することになった。

 現在、われわれは再び、ひとつの危機の最中にある。その終りはまだ見えていないのだが、それが1929年の株式市場の大暴落に続く「大恐慌」以来の、最も深刻なものになる可能性がある。この危機の中心をなしているのは、アメリカのサブプライム住宅ローンの破綻と、これを組み込んだ証券化が急増し、アメリカや全世界で金融機関や各個人に売却されたことにある。このローンの債務不履行は、ヘッジファンドや金融機関だけでなく、非金融部門にもすさまじい影響を及ぼしている。もとをたどっていくと、証券化の手続きとそれに対応する「媒体」がこの金融商品設計全体の中で中心的役割を果たしている。実際、これらのメカニズムは、LBO(レバレッジド・バイアウト=企業買収等への投資)やSIV(投資ビークル=低金利資金の有利な運用)など、もっと広範な一連のメカニズムを構成するひとつの要素として理解されなければならない。これらのメカニズムは2002年の後、金融部門での利益の劇的な上昇をもたらしたが、それはまた、世界経済が今日陥っている大規模な金融危機も招いたのである。
 現在の情勢の決定的側面は、アメリカ経済が通常考えられるより深刻な状態であり、適切な手段が取られなければ、はるかにずっと危機的なものとなりかねない景気後退に突入しつつあるということである。担保付きローンがもはや選択肢にならないことが分かっているため、どうすれば需要が喚起されるのかを思い描くのは難しい。この余波が世界的規模に波及し、同様の景気後退がヨーロッパの主要国でも現実のものとなる可能性がある。このような経済活動の縮小は、失業を増大させ、「労働市場」でのよりいっそうの「柔軟性」を受け入れさせ、購買力を削減させ、社会的保護を浸食するなど、労働者に対して新たな圧力を強めることを意味する。工業諸国からの需要の減少はまた、多くの発展途上国に対しても打撃を与えることになるだろう。

 人々は、このことをもっとよく知っておくべきだった。残念なことにこのクラッシュは、ノーベル賞受賞者のスティグリッツ、Attacなどの社会運動や新自由主義的なプロジェクトを批判する非正統派の人たちの予測が正しかったことを証明している。
 今日では、危機の圧力を受けて、金融界の主流派でさえ改革を求めつつある。しかしながら、こうした情勢のもとではいつものように、改革は論争の的となるだろう。すべては、誰の利害を優先した改革がなされるかにかかってくるだろう。銀行家が改革のため国家の介入を求める場合、自分の利益を担保しながら、損失だけを社会的に補填することを意味している。銀行家たちが改革について語る場合には、彼らが主張するのは、新自由主義の基本を救い、しばらくしてからビジネスを旧来通りに戻そうとすることによって、ばらばらで断片的な規制と短期的な危機管理だけを実施しよう、ということなのである。

 大多数の民衆の利益に必要なことは、「もうひとつのパラダイム」への真の変革である。すなわち、金融は社会的公正と経済的安定と持続可能な発展に貢献しなければならないといった、パラダイムへと変革することである。われわれは、次の年にはまた以前の状態に戻るような改革を許すことはできない。危機はある不幸な状況の結果ではないし、監督機関や格付け機関の失敗でも、単一の主体の不正行為だけにその原因があるわけでもない。それはシステムそのものに根源的な原因があるのであって、全体としてのシステムの構造とメカニズムが問われているのである。

 金融市場が全体としての新自由主義的グローバルゼーションの中心を構成し、推進力をなしていることからすれば、そこで起こるよいことも悪いことも、経済の他の部門にも強い波及力をもつのである。金融部門のこのような支配的地位は、1973年の主要国における変動相場制の導入後に発展したものである。それ以降、金融機関とそのメカニズムが、急速な拡大の局面を経験し、金融資産と金融債務の全体量が並行して増大した。「実態」経済に対する「金融利息」の支配が巨大な形で増大した。2000年始めに起こったこの過程の急激な加速化を強調しておくこともまた重要である。この時、アメリカ経済は2001年の危機(景気後退と株式市場の崩壊)から回復していたが、とりわけ、アメリカの国内債務(特に家庭債務)の急激な増加とこの国の対外債務の増大とは、アメリカ経済への資金調達に対する他の国々の貢献が拡大することで、出現した。

 これらの傾向が合わさって、資本主義の新しい形であるニューエコノミーのモデルを確立させたが、これがしばしばグローバリゼーションと呼ばれているものである。これについては、金融資本主義と呼ぶ人もあるが、株主資本主義と考える人もある。しかしながら、これは新しい現象を伴う資本主義を示しているのであり、次のひとつのことが明白である。
すなわち、これまでの時代には金融市場が、実態経済に対して従属的役割(その手段としての役割)を持っていたのだが、この関係はひっくり返った。金融市場における最大限の利潤追求の論理と発展力学が、経済生活と社会生活のあらゆる毛穴に浸透している。金融資本の完全な流動性は、新自由主義の政策の結果なのであるが、世界経済の中で決定的な役割を演じている。それは、多国籍企業相互間だけではなくて、国家(とその社会的・財政的システム)相互間でも、さらには世界の異なるさまざまな地域の労働者相互間でも、グローバルな競争を作り出している。資本のこの支配は、資本家に有利な力関係を作り出すことによって、労働者の所得の割合を減らし、リスクを労働者の側に転嫁して不平等を拡大した。

 この「支配的モデル」の破産が今日ほど明白になったことはない。それは完全に信用を落としてしまった。だから、明白な結論を引き出さなければならない。

 歴史的なチャンスの扉が開きつつある。もちろん、真の変革が達成されるかどうかは世論の動向や民衆からの圧力にかかっている。


●もうひとつの金融システムは可能である

 現在の金融システムの複雑さは、ひとつの手段で問題を解決することを不可能にしている。アルキメデスの一点のような解決手段はない。すべてが一連のセットになった手段が必要であろう。しかしながら、何百という単独の提案が近い将来に出現し、それらすべてが論争の対象になるであろうことを考慮して、単独な提案が真の解放のために役立つ改革として受け入れられるようにするために、われわれは、満たすべきいくつかの「基本的な必要条件」を定めることにした。

A、 断片的な手直しではなく、システムの真の変革を

 新自由主義的な形をとった金融システム全体は、経済的に不安定で非効率であり、平等や全般的な福祉や民主主義にとって有害であることが明らかになった。したがって、システムの変革が必要である。われわれの主要目標のひとつは、新自由主義の支柱、とりわけ、資本の全世界的な流動性を解体することである。富や資産運用のための蓄積の救済を目指す、いくつかの規制的政策やみせかけだけの改革は受け入れられない。

B 、「自己回復力をもつ市場の力」ではなく、新たなブレトン
ウッズを

 
 政治的規制なしに市場だけに委ねられると、危機は悲惨な結果をもたらすことを示している。したがって、各国経済間の無政府的な競争ではなく、民主的な統制と国際的な協調が必要とされる。経済に関する意思決定に際しては、持続的な発展と三世代すべての人権に優先順位が与えられなければならない。国連の援助のもとで適切な制度が設立される必要がある。国の監督と規制機関相互間の国際的協調が強化されなければならない。格付け制度は、公的監督の一翼にならなければならない。
 無制限の自由貿易と資本の全世界的な自由な流動性に対して、制限を設けなければならない。財と金融の流入と流出の全面的な「開放性」は、階級に関わりない民衆の権利の相互尊重と労働者の歴史的な既得権の防衛にもとづき、発展の進んでいない諸国との連帯の表現として、世界のさまざまな諸国や地域間の交渉による協定の整備によって、置き換えられなければならない。

C 、金融資本の支配を打破すること

 真の変革に向かう基本的方向は、実態経済に対する金融市場の支配を打ち破ることを目指さなければならない。この目的に適したいくつかの手段は以下のとおりである。

 @、投機を減らし、金融市場の速度を落とし短期的取引のあり方を少なくするために、通貨取引を含むあらゆる種類の金融取引に対して課税すること。

 A、資本所得に累進税を課すこと。金融市場の膨張を促進している主要要因は富の集中である。したがって、金融市場の速度を減速させ安定させるには、豊かな者から貧しい者へと所得を実質的に再分配するとともに、過剰な利潤獲得を求める誘因を減らすことが必要である。

 B、社会システムならびにエネルギーや鉄道などの重要インフラストラクチャーの民営化を停止し、すでにそれが実施されているところでは、それを再び公共化する必要がある。


D 、金融危機への「汚染者負担原則」を

 金融の不安定性は、資本主義一般の、そしてまたとりわけ新自由主義的資本主義に固有の特徴である。金融の混乱に取り組むための国家の介入は、疑問の余地なく必要である。1930年代初めの犯罪的な自由放任政策(レッセフェール政策)を繰り返してはならない。しかし、この介入のコストは、納税者が支払うべきではなくて、この危機に責任のある者たちが支払うべきである。したがって、実態経済に対する危機の影響を和らげるために特別な「危機対策基金」が設立されるべきである。この基金は、五万ユーロを超えるすべての資本所得に対する一回限りの追加税と、すべての法人利益に対する 1%の追加税を通じて充当されるべきである。

E 、 EUの改革を

 EUに特別な注意を払うべきである。リスボン条約や他の条約は新自由主義のドグマに従って作成されている。リスボン条約「第50条」は、資本の自由化に対するいかなる制限をも禁止し、それによって、社会に対する金融の圧倒的支配を築く完璧な条件を定めているのだが、この条項こそは削除されなければならない。われわれはまた、最も有利な条件の場所に資本が自由に移動でき、ロンドンのシティなど、金融機関が自由に選択した避難場所での会社設立の自由を許す「第48条」の制限を求める。

さらに、欧州中央銀行の地位を変更することが必要である。この銀行は、ヨーロッパにおける新自由主義の心臓部である。その通貨政策と金融政策は、新古典派のドグマに完全に依拠している。政策におけるマネタリスト的イデオロギーからの転換が必要であり、市民の運命に劇的な影響を与えるこの金融機関に対する、民主的な統制を実施する必要がある。われわれは、消費者物価のインフレを2%以下に維持し続けることを中心的課題とする、欧州中央銀行の政策に同意しない。これは新自由主義的政策の中心的な柱だからである。われわれは、そのような政策に代わって欧州中央銀行が、成長、雇用、購買力の維持、金融システムの安定化を、中心的に取り組むことを要求する。

F、 システムの中心部分の改革を

 危機に照らして考えると次のような、現在のシステムのいくつかの要点に、特別な関心を払う必要がある。

1. 銀行部門における自己資本比率向上の要求と、その慎重な実践

 銀行に対する資本の必要条件である、最低自己資本比率は高められねばならない。その点で、銀行の自己資本比率規制(バーゼルU)が間違った方向へのステップであった。したがって、この危機からの結果を考慮に入れた新たな自己資本規制(バーゼルV)が必要である。現在の危機の中心をなす「オフバランス取引」(簿外取引)を禁止しなければならない。

証券化の手続きは、かつてのアメリカでそうであったように、政府の厳密な統制のもとにある諸機関に限定されなければならない。大量のサブプライム・ローン転売を目的とした「債務担保証券」のような最悪の証券化手続きは、禁止されなければならない。

 投資銀行は、他の金融機関と分離されなければならない。公立銀行や協同組合銀行の部門が強化されなければならない。公共当局は、持続可能で公正な発展のための安定した資金融資のために少なくとも基幹銀行のいくつかを保有しなければならない。

 現在の危機においても、また過去数十年間のほとんどすべての危機でも、ひどく破綻してしまった格付け機関は、公的統制のもとにおくようにすべきである。少なくとも、格付け機関は、もはや自分たちが格付けしている企業からの支払いを受けるようなことがあってはならない。そうではなくて、格付け機関には、そのすべての利用者や金融商品の販売者から支払いを受けているような基金以外から、融資を受けるべきである。
 
2.「 レバレッジ」(少ない自己資本で大きな資本を動かす「てこ原理」の投資)依存度の高い機関の規制を

 誰がヘッジファンドを必要としており、経済にそれらはどのようなメリットがあるのか? 2007年のG8で、ドイツがヘッジファンドのよりいっそうの透明性を求めた時、これらのファンドは別の基金が引き受ける積もりのないリスクを引き受けているがゆえに、有益な機能を備えているとの主張がなされた。実際には、これらのリスクは、最大限の利潤を追求する場合にはじめて生じる「投機のリスク」である。経済にとってこれらの操作から生じるメリットはまったくない。

 反対に、それらの操作はシステムの不安定化を招く。レバレッジ業務のせいで、そのリスクは銀行に転嫁される。だからこそ、こうした操作はけっしてなされてはならないのである。ヘッジファンドがリスク防止手段であると言い放つのは、防火の仕事を放火魔に提供するに等しい。監督機関によって、銀行がヘッジファンド事業を行うのを防止する必要がある。ハイリスクの最大利潤を追求する金持ちや機関投資家を除けば、ヘッジファンドを必要としている者は誰もいないからだ。

3.デリバティブの規制を
 
 グローバル経済の枠組みのもとでは、為替レートの爆発的変動など、実態経済にとっての一定のリスクが存在し続けるかぎりは、デリバティブは、もしそうしたリスクに対する保険としてならば、積極的役割を果たすことができる。
その目的のためには、デリバティブは監督機関によって基準が定められ、認可された形で証券取引所を通して取引されなければならない。証券取引所以外での「OTC取引」(オーバー・ザ・カウンター=店頭取引)は禁止されなければならない。

4.オフショア金融センターの閉鎖を

OFC(オフショア金融センター)や税金天国(租税回避地)を必要としているのは誰か? 自分たちの財産を税当局から隠しておきたいお金持ちや機関投資家、マフィア、テロリスト、マネーロンダリングを望む武器商人や犯罪勢力だけである。そのよう地域の経済的地位を支持すべき妥当な根拠は、何ら存在しない。だから、その経済的機能を完全に閉鎖すべきである。

 一部の工業諸国が自国をオフショア金融センターとして維持し、外国にあるそうしたセンターを保護しているために、このような国家による閉鎖が不可能であるというのであれば、国内の銀行に対する銀行機密の撤廃や、タックス・ヘイブンに支店を置く銀行に対して支店の閉鎖を義務づけること、オフショア金融センターとの取引に対して高い税金を課すことなどを含めて、銀行に対して一方的な一連の政策を取ることができる。
 
5. プライベイト・エクィティ・ファンド(=未公開株投資ファンド)の規制を

 プライベイト・エクィティ・ファンドは、もしそれらが適切に規制されれば、実態経済の効率を改善し、ベンチャー資本を提供することができる。自己資本比率への要求は改善されなければならない。レバレッジは持続可能レベルに限られなければならない。長期株式保有に対する三倍の投票権など、企業ガバナンスの改革が必要である。労働組合、消費者、その他の利害関係者に、企業の意思決定への委任参加権が与えられなければならない。

6.家庭債務(各種ローン)の上限規制を

 すべての国で、個人所得に比例した返済金と利息の割合の上限を設けることによって、家庭債務(住宅ローンを含む)の制限を定めなければならない。購入力の低い社会階層への住宅提供とその所有の実現は、政府・行政機関の社会政策の一つとすべきである。それは、民間金融機関の最悪の特権になるようなことがあってはならない。過剰債務を抱えた持ち家所有者が住宅を手放さずに済む、新たな抵当権実施手続きの確立という提案を、われわれは強く支持する。


posted by attaction at 09:16 | 通貨取引税(トービン税)、金融 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする